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1 風吹けば名無し

 病気が分かって、鹿児島に帰って治療することも可能だったけど、甲子園から離れたところっていうのが気になって、関西に残って闘病することを決めた。
入院中はチームメートの方もたくさん来ていただいて。
慎太郎から“松田さん(松田遼馬)が消灯するまで帰らない”と電話があったり。高山さんが、ドッグフードを差し入れしてくれた時は家族で大爆笑。北條さんも甘い物をいっぱい持ってきてくれて。
本当に阪神タイガース球団、関係者の方々に多大なサポートをいただいて、慎太郎、家族ともども感謝しかありません。

 最後に、6年という期間だったけど1軍の試合にも出させていただいて慎太郎も自分の子供ができた時に現役生活のことを話せるんじゃないかな。
引退試合という形で試合にも出させていただいて、私たち家族はしっかりと目に焼き付けました。本当にお疲れさま。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190927-00000101-spnannex-base





2 風吹けば名無し

 17年の2月、仕事中に慎太郎から電話がかかってきて“体調が悪いから病院に行ったら脳腫瘍だった”って聞いて…。
最初は意味が分からなくて、もう一回聞き直したら“脳腫瘍だって。お母さん、大丈夫?”って私を心配してくれてね。その場で仕事を辞めた。

 入院してからは、主治医の先生、お父さんと3人で何十回も話し合いを重ねた。手術の直前、お父さんとは“もう野球はいらないよね?
生きてくれればいいよね”と確認し合って。でも慎太郎が当日、先生に“神経1本傷つけないでください”と言って手術室に1人で歩いて入っていったのを見て、本当に野球がやりたいんだって。
その言葉を聞いて、野球ができる体にしてほしいと強く願った。

 計2回、2度目は18時間に及ぶ大手術が終わって、最初は全く目が見えなくて。口も大きく開けることができないから、食事は子どもに食べさせるように、
ご飯をラップに小さく2センチぐらいに包んで食べさせてあげた。無意識に手術の傷口を手で触れば、菌が入って、また手術をやり直さないといけない。
先生には“お母さん絶対に寝ないでくださいよ”と言われててね。慎太郎と私の手に、小さな鈴を付けて分かるようにしていた。


3 風吹けば名無し

高山を叩けばええんか?


4 風吹けば名無し

引退試合守備だけで打席に立たせてあげんのはかわいそうやったな


8 風吹けば名無し

>>4
ボールブレて見えてたらしいししんどかったんちゃう
引退試合のレーザービームは奇跡やろ


10 風吹けば名無し

>>4
守るのもキツかったのでは?
ボールマトモに見えんのやろ


6 風吹けば名無し

高山ほんまええ奴やな


7 風吹けば名無し

高山とか中谷号泣してたらしいな