ドラフト時点で最高評価を受けていても、入団後に目立った成績が残せなければクビになるのは他の選手と変わらない。
むしろ大きなプレッシャーを背負うぶん、彼らのほうがより辛いのかもしれない。
発売中の『週刊現代』ではドラフトで1位指名された選手の、その後について特集している。
「三顧の礼」で迎えられて
今年も、10月17日のドラフト会議で、佐々木朗希(大船渡高校)と奥川恭伸(星稜高校)を筆頭に、12人の「ドラ1選手」が誕生した。
一方で、新たに入団する彼らに席を空けるため、活躍できなかった選手たちには非情な戦力外通告が待っている。
10月初旬、各球団が発表した戦力外リストの中には、かつてはドラ1として、佐々木や奥川と同じように脚光を浴びた選手たちも少なからず含まれている。
中でも、記憶に新しいのが、'10年のドラフトで6球団から1位指名を受けた大石達也(31歳・元西武)だ。
「150?中盤のストレートとキレのあるスライダー、フォークのコンビネーションで抜群のセンスを感じさせました。
当時、ウチの抑えとして君臨していた(藤川)球児のようなスピンの掛かった球とはまた違って、バッターが直球とわかっていても押し込まれてしまうようなパワーがあった。
もし獲れれば、近い将来、絶対的な守護神としてチームを支える投手になると思い、強く推薦しました」(当時、大石を1位指名した阪神の元スカウト・菊地敏幸氏)
この年のドラフトは、大石、斎藤佑樹(日本ハム)、福井優也(楽天)の「早大三羽ガラス」の他にも、澤村拓一(巨人)や山田哲人(ヤクルト外れ1位)、
秋山翔吾(西武3位)、柳田悠岐(ソフトバンク2位)ら現在も一線で活躍する選手が目白押しだった。
彼らを差し置き、競合のリスクを覚悟してでも6球団が指名を断行した大石の才能が、いかに高く評価されていたかがわかるだろう。
くじ引きの末、西武が交渉権を獲得。大石に対して契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円(いずれも推定)という最大級の条件を提示し、背番号も松沼博久らエース級が背負ってきた「15」を用意した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191018-00067837-gendaibiz-base
10/18(金) 11:01配信
>>1
何だこの記事?
佐々木の将来を見越したのか?
>>74
清宮は故障箇所の手術に踏み切る模様
元々学生時代から腰やら肩やらアチコチに爆弾を抱えていたから
いつパンクするかワカラン状態
>>1
オリックスの元ドラ1位のパンチョ佐藤は今は何処に居るのか!?
いきなりの挫折
まさに、「三顧の礼」をもって迎えられた大石は「ストレートには自信がある。開幕一軍を目指して頑張っていきたい」と意気込みを隠さなかった。
だが、1年目のキャンプで、いきなり挫折が待ち受けていた。
きっかけは、渡辺久信監督(当時)が、大石を先発で起用する方針を示したことだった。
ドラ1で獲得した投手にチームの顔である先発を担って欲しいと考えるのは、無理からぬことだろう。
だが、前出の菊地氏はこの一報を聞いて不安を感じたという。
「外部からどうこう言うことではありませんが『えっ? 』とは思いました。彼は制球にやや難があり、適度に荒れるのもリリーフとしては魅力だった。
ただ、逆に長いイニングを投げるとすれば、球数を抑えるためにも制球力が必須。
大学時代から長らくリリーフ専門だった彼に、いきなりプレッシャーをかけて大丈夫なんだろうか、と心配になりました」
案の定、大きな期待に誰よりも焦りを感じたのは大石本人だった。
2年目から投手コーチとして大石を指導した杉本正氏が振り返る。
「ルーキーイヤーのキャンプから周囲に言えないような悩みを抱えていたようです。
先発転向を過剰に意識するあまり、腕の振りや制球を変えようとしてフォームがバラバラになっていました。
上半身と下半身のバランスが取れなくなっていて、いかに修正するかをずっと話し合っていた」
結局、適性のあるリリーフへと戻ったものの、一度失ってしまった感覚はなかなか取り戻せない。ストレートの球速は130㎞台まで落ち、肩の故障も重なった。
自分のベストな型が見つけられず、肩もヒジも壊してしまった。ただでさえ慣れ親しんだフォームを変えるのは難しい。とりわけ、大石の場合は生真面目で考えすぎてしまうところがありました。
『弱気になるな。バッターを見下ろしていいんだよ』とずっと言い続けていたけれど、最後まで自信を取り戻させるのが難しかった」(杉本氏)
9年間のプロ生活で大石が挙げたのはわずかに5勝。入団時の世間からの期待を考えれば、なんとも寂しい数字だろう。無念を胸に、大石は来年からは西武の球団職員になる予定だ。
二ケタ勝利投手の転落
大石のように、戦力外を機に引退を決める選手もいれば、なおも現役続行にこだわり、もがき続ける選手もいる。
「一軍での登板がなかった今年だけでなく、去年もまったく結果が出せなかった。
だから『来季は契約しない』と告げられた段階で、ある種の納得感がありました」
こう語るのは、ヤクルトを戦力外になった村中恭兵(31歳)だ。
'05年、村中は当時の高校生ドラフトでヤクルトから1位指名を受けた。
キレのあるストレートにフォーク、そして安定した制球力。
東海大甲府高校時代は目立った実績こそないものの、プロで経験を積めば伸びる逸材として、12球団から希望調査票が届いていた。
背番号は「15」。岡林洋一らエース級が背負っていた番号だ。
大きな期待を受けての入団だったが、村中には特段の気負いはなかったという。
「小学生時代から、特に強いチームでやってきたわけでもなかったし、甲子園に行ったとはいえ、ベンチ要員で出場機会はなかった。だから、自分の実力はよくわかっていたんです。
特に僕が入団して以降、ヤクルトは増渕(竜義・'06年1位)、由規('07年1位・現楽天)みたいな高卒即戦力投手を次々獲得していきました。
彼らの投げるボールを見ていると、『高校から活躍する投手はレベルが違うなぁ』という気持ちになってくる。
僕にできることは、せめて悔いが残らないように一年一年を一生懸命にやっていくことだけでした」
コツコツと努力を重ねた村中は、入団3年目の'08年には6勝を挙げて頭角を現すと、'10年には11勝、'12年には10勝と2度の二ケタ勝利を達成。
先発の一角として、いよいよ才能が開花するかに思われた。
しかし、'14年の4月、阪神戦の途中で中継ぎとして登板し、腰を痛めて登録を抹消されてから、村中の野球人生に暗雲が立ち込める。
「ケガをして1ヵ月くらいは歩くのもやっとの状況でした。7月にはなんとか一軍に復帰できたのですが、思ったように力が入らず、狙ったところにボールが投げられない。
ある試合でアウトひとつ取れずに打ち込まれて、ふたたび二軍落ちを命じられました」
元メジャーリーガーの浮浪者みたいな人もいたやん
斎藤佑樹は一線で活躍してない
大石とは何だったのか
斎藤「大石も福井も力不足」
投げるのが怖い
狂い始めた制球に感じていた苛立ちは、いつしか「バッターに投げるのが怖い」という怯えへと変わっていった。
それが決定的になったのが'15年3月、ファームのイースタン・リーグ、横浜DeNA戦だった。
「嫌な感じ」を抱えたまま上がったこの日のマウンドで、村中が投げたボールは、相手の先頭打者の背中を直撃する。
顔面蒼白になった村中は、そこからストライクが入らなくなり、4回途中までで8つの四死球を与える大乱調を演じてしまう。当然、長い二軍暮らしが続くことになった。
学生時代からずっと武器にしてきた制球力を失い、どうしていいかわからない。この頃の村中は茫然自失の状態だった。
「フェンスを打者に見立てて、マウンドからホームに近づいた5mぐらいの距離から投げる練習をしていました。
そういう、小中学生でもやらないような初歩的な練習を繰り返していると、だんだん『もう大丈夫かもしれない』という気持ちになってくる。
でも、いざファームでまた登板の機会を与えてもらうと、やっぱり不安が頭をもたげてきて、コントロールが定まらない。
その繰り返しでした。人生で初めて『もう野球をやめたい』と思った瞬間でした」
そして気がつけば、かつて村中が圧倒された増渕も由規も、期待されたほどの成績を残せぬまま、先にヤクルトを去っていった。
最後まで残った村中も、一軍に定着できないままついに神宮のマウンドを去る。
「トライアウトに挑戦するかどうかはまだ決めていませんが、NPBがダメでもチャンスを与えていただけるなら独立リーグなどでプレーしたいと思っています。
僕は昨年手術をしたのですが、それ以降まだ一度もまともに投げていない。選手としてもう少しあがいてみたい。悔いを残したまま、野球をやめたくないんです」
そう語った村中は、球団からの引退セレモニーの打診を固辞し、今日も練習に励んでいる。
突出した才能も…
エースと並ぶ野球の花形といえば、4番を打つ長距離砲だ。
「パワーヒッターでありながら、逆方向にも広角に打てる柔軟性を持ち合わせていた。
名球会に入るようなバッターにも劣らない才能があったと思います。それだけに、もったいないというよりほかありません」
今季まで広島と巨人の打撃コーチを長年にわたって歴任し、前田智徳、金本知憲、
阿部慎之助ら数え切れないほどの名打者を育て上げてきた球界屈指の名伯楽・内田順三氏が、こう打撃の才能を惜しむ選手がいる。
10月2日、広島から戦力外通告を受けた岩本貴裕(33歳)だ。
広島商業では1年生からエース兼4番を任され3年生の夏に甲子園へ出場。
高校通算52本塁打の打棒を引っさげて亜細亜大学に進学すると、東都リーグでも主砲兼投手として、歴代4位となる通算16本塁打をはじめ、数々の記録を残した。
'08年のドラフトで、広島から1位指名を受け入団。与えられた背番号はかつて金本知憲が背負っていた「10」。
将来の4番候補として岩本にかけられた期待は絶大だった。
「広島の1位は投手を獲ることが多い。しかも、自由枠や逆指名枠があった頃は、自前で育てる高校生を獲るというのが松田元オーナーの方針だった。
そんななかで、'91年の町田公二郎以来の大卒野手として岩本を指名したわけです。私も松田オーナーから直接『岩本を見てやってくれ』と言われていました」(内田氏)
オーナーの肝いりということもあり、岩本は1年目からファームのほぼ全試合に4番で起用された。最終的に、二軍ではリーグ2位となる14本塁打を記録している。
「二軍にいる選手の中では岩本の才能は明らかに突出していた。だから、なんとか上に行かせようと周囲も躍起になっていました」(内田氏)
翌'10年からは徐々に一軍での出場機会を与えられていく。しかし、打率は2割台中盤をうろつき、なかなかレギュラーとして定着することはできなかった。
小石ってまだおる?
>>10
戦力外
生き残る術がなかった
広島は、若手に多くのチャンスを与えて育てるチームと言われている。
それは、裏を返せば一定のチャンスを与えられても目立つ成績を残せなければ、次の世代にポジションを譲らなければいけないということでもある。
スーパールーキーとして入団した岩本も、その例外ではなかった。
緒方孝市監督が就任した'15年からは一軍での出場機会が激減、今季は1試合の出場に止まり、そのまま戦力外通告を受けた。
「彼には、間違いなく才能があった。
でも、それとは別にプロで活躍するには『再現性』が必要だった。
チャンスを与えてもらったときに、プレッシャーをはねのけて自分の持てる技術と力を発揮して、首脳陣からの期待に応える。
本当に、紙一重、あと一歩だっただけになんとも言えない難しさを感じます」(内田氏)
大石、村中、そして岩本。アマ時代に残した実績と、ポテンシャルを考えれば、いずれも球界を代表する選手になっていてもおかしくない逸材だった。
んなかつての「金の卵」たちが、結果を残せず「ただの人」となってチームを去っていく。
前出の菊地氏が言う。
「結局、プロは何位で入団しようが成績がすべての世界。
入っていきなり結果を出せる選手は別ですが、そうでないその他大勢の選手はプライドや過去の自分の武器を捨ててでも、必死になってしがみついていくしかない。
どんなに才能に恵まれていても、輝かしい過去を持っていても、生き残る術を見つけられなければ一軍で飯を食べ続けることはできないのです」
人生はままならないものだが、野球選手の場合はなおさらだ。
一瞬のチャンスに結果を出せないこともあれば、ケガに泣くこともある。
5年後、10年後、佐々木や奥川がプロの第一線でプレーを続けることができているかどうか。
それは誰にもわからない。
発売中の『週刊現代』ではこのほかにも『瞳に映った景色からアイドルの自宅を特定 ネット上の写真一枚で個人情報は丸裸にされる』
『ノーベル賞・吉野彰さん独占インタビュー 私はこうして「悪魔の川」「*谷」「ダーウィンの海」と闘った』『ラグビー日本代表 31人の覚悟と誇り』などを特集している。
「週刊現代」2019年10月26日号より
ナベキューじゃ仕方ない
球団職員になれたのならいいんじゃない?と思うが
>>13
本当にまだいい方だと思うわ
ドラフトを毎年録画保存しておいて、十年後くらいに見直すと味わい深いんだろうか
>>14
由規中田翔唐川の頃から録画して持ってるが
特に見返すことは無い
>>14
ウィスキーのように味わい深いものとなるぞ
斎藤「そろそろ本気出していいですか」
>>15
慌てるな、まだ早い
>>15
まーさんでも40敗してるメジャーで無敗だからな
本物だよ
藤浪がこのカテゴリに入れられるのも時間の問題だ
村中恭兵と藤浪晋太郎は顔だけやなく
悩みも同じやんけ!!
阪神取ったら相互効果で二人とも復活するんと違うか??
那須野は?
なべqってそんなにアカンかったの?
何だかんだ言って厳しいプロの世界で生き残ってる斎藤さんは凄いんだな
>>21
野球じゃ「無い」才能で生き残ってるプロ野球選手って結構自慢できるんじゃないか?
東洋大姫路の松本と平安の川口かな。二人ともノーコンだったらしいけど
プロ野球選手になれただけで良い人生
成功したらさらに最高
うまくいかない人もいるけど
それでも凡人に比べたら幸せだと思う
悲劇のヒーローみたいに扱うのは反対です
>>24
一度高いところから見た景色を知るものが、人生半ばも行く前に、生きる術も知らずに地べたを這いつくばって生きていくのはしんどいよ。みんな中学くらいからろくに勉強もしないで、野球漬けだったからね。ある意味賢くないと、切り替えも難しいだろう。
ドラ1なら契約金たくさん貰えるだけでもマシ
多田野人もドラフト1位だったような
大石は故障がちだったからどっちみちプロで抑えは無理。
キャンプの時に既に故障してたし。
消えたんだし*だな
先発やらせたのは疑問だが、遅かれ早かれ同じ結果になったんじゃね
大石と田中正義はドラフト詐欺くさい
もう入団前に肩ぶっ壊してた それを隠して契約金ゲット
>>30
隠してないやろ。
結局はメンタルだな
怪我は気の毒な面もあるが
なんか一個武器を手に入れたらいいんだけどな
山本昌みたいにウインターリーグでマイナーの野手に遊びで教わったスクリューボールが人生変えたりするからな
>>32
ヤクルト監督の高津は若手の頃、ノムさんから突然「シンカー覚えろ」と秋季キャンプの前に言われたらしい。
「自分には無理」と断ったが、「いいから、やってみろ」と押し切られ、無我夢中で1か月間試してみた結果が、
日本野球界を代表するクローザーに。
>>51
その辺の一期一会も運やな
本当はいけたのに、変にフォームいじられて滅茶苦茶になった奴は
意外に多い気がする
ただの数人
安楽だったかな…期待してたんだが
スポーツで飯くっていく難しさだよな
そこらの少年クラブで1番上手いからと親が安易に子供をプロにする夢にのめり込んじゃうけど
そこそこスポーツ上手い普通の人として生きる方が幸せかもね
野球って予想はしてたけど、細かいんだな
万能かと思いきや得手不得手があるから監督の采配一つで選手や試合の命運が左右されるのか
毎年戦力外を晒し者にする風潮なんとかしろよ
指導者にもよるんじゃない
球児だって山口の「右足ちゃうか?」の一言がなかったら消えてただろう
消えた天才復活しないの
みんな
佑ちゃんのことは長い目で見たってくれ
中日、樋口
でも大金は持ってるからそこはただの人じゃないけどな。
ハゲに優秀なコーチはいない
ドンマイ 藤浪
ドラフトドラマみたいなのでモデルになった選手らは
どれくらい活躍出来てるんだろう
投手は今の西武ヤクルトで駄目ならもう無理だよなあ
桐蔭の大型左腕 辻内
英明の大型左腕 松本
結局、1位が1位の期待通りに活躍できるわけじゃないのは
既に全球団の歴史が証明している
下位評価なんか気にしないで頑張ればいい
斎藤「野球に人生かけたのが失敗だった」
ハンケチ
近所に元プロ野球選手の少年野球教室があるわ
看板には元○○球団選手って掲げてあるけど、無名過ぎて誰なのかわからない
記事の連中は30過ぎまでやったのだからもったいなくはない
20歳で10勝して23歳で戦力外になった中日の若松とか特集しろや
大石と村中岩本は一緒にしちゃナンセンスだろ
村中岩本は一軍でバリバリ活躍した年もあったし
なんだこの記事
ストレートが速くて力があるけど制球に難、って
それ渡辺久信だし
ドラフト1位で獲ったもん先発で使おうとするの当たり前じゃん
抑えやワンポイントなら実績あるロートルでいいんだよ
怪我とか能力とかの問題じゃなく
素行面で首とかもあるよな
夢見れる業界なだけええやん
その夢すらしょうもない世界だってある
そこに住むのは世捨て人、成れの果てだ
結論
ナベがアホ
>>63
言われた通りにやるだけでは人生はほぼ潰れる
どんな人も
猫ですら気に食わないと態度で示すしな
本人はしてないだろうけど
先発にしたくらいで人のせいにしちゃダメだよ
源五郎丸洋
1981年阪神タイガースドラフト1位 大分県立日田林工高
・美しいフォームで入団当初は「村山実2世」と呼ばれ、将来を嘱望された
・有料の紅白戦が行われることになったために急遽呼び出され右大腿二頭筋断裂
・一軍に一度も上がることなく、1986年に現役引退
・江本孟紀「体もできあがっていないのに、有料紅白戦の客寄せパンダに使って、新しい逸材を壊してしまった」
・掛布「怪我さえなければ間違いなく活躍していた選手だった」
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