阪神のドラフト1位・佐藤輝が周囲をヒヤリとさせる場面があった。3000メートル走を途中リタイア。突然のアクシデントで一時的にグラウンドから姿を消し、球団を通して“離脱”した理由を明かした。
「走っている途中で腰に少し違和感を感じたため、トレーナーさんに相談し、大事を取って抜けさせてもらいました」
午前に組まれた長距離走は最後尾からスタートした。最初は集団についていたものの、2周目に突入した時点で先頭から半周以上の差をつけられる苦戦。苦しい表情を浮かべ、4周目、約1400メートルの地点で脱落した。腰付近を押さえ、トレーナーと話しながら三塁側ベンチへ向かった。
球団は「佐藤輝明選手ですが、3000メートル走の途中に腰に違和感を感じたため、大事を取って途中で3000メートル走を回避いたしました」と発表し、あくまで大事を取った措置を強調した。実際に3000メートル走の後には室内練習場での打撃練習に参加。以降も通常のメニューをこなすなど、幸い大事には至らず周囲も安堵(あんど)した。
目前に迫る春季キャンプは1軍スタートが決定済み。「もうすぐキャンプも始まる大事な時期なので、ケガには気を付けて、しっかり身体をケアしていきたいと思います」。改めてコンディション調整に努める決意を示し、自主トレの総仕上げを期した。 (山本 浩之)
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad1bebabdf8145638a78fa58c4959d9573ecda8c
1/27(水) 5:30配信
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【ドラフト注目】近畿大学・佐藤輝明|22年ぶりに記録更新!衝撃のホームラン|10月18日(日)近大 vs 関大【関西学生野球連盟秋季リーグ戦】
2021年01月
掛布、新庄、赤星...阪神の下位指名選手でベストナインを組んだら凄かった!
<ドラフト下位指名だけによるベストナイン>
※ドラフト4位以下
投手:久保田 智之(常盤大/2002年5巡)
捕手:梅野 隆太郎(福岡大/2013年4位)
一塁:桧山 進次郎(東洋大/1991年4位)
二塁:前田 大和(樟南高/2005年高4巡)
三塁:掛布 雅之(習志野高/1973年6位)
遊撃:藤本 敦士(デュプロ/2000年7位)
外野:赤星 憲広(JR東日本/2000年4位)
外野:新庄 剛志(西日本短大付属高/1989年5位)
外野:坪井 智哉(東芝/1997年4位)
https://news.yahoo.co.jp/articles/83bc3ec7e52afec9fe2678cd092474457ac6a513
阪神タイガースの順位回数
【悲報】立浪和義さん、阪神ドラフト1位の佐藤を酷評してしまう、、
【野球】 ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?
posted2021/01/23 17:04
(出典 number.ismcdn.jp)
1962年5月に開場した幻の東京スタジアム。カクテル光線も眩しく「光の球場」と呼ばれた
text by
鼠入昌史
photograph by
Sankei Shimbun
今回は、ロッテのお話である。
と、いきなり話が脇にそれるが、筆者は阪神ファンだからロッテ打線はとてつもなく強力だと思っている。言わずもがな2005年の日本シリーズ、33-4とかいうアレで、阪神はロッテに4連敗してしまった。そのインパクトが強すぎて、15年経った今でもロッテ打線など抑えられるはずがないと恐怖におののいている。そういうわけで、ロッテの話をするのはなかなかツラいものがある。せめてもの救いは、今回のテーマがロッテはロッテでもその前身「東京オリオンズ」と呼ばれていた時代の物語であること。安心して話を先にすすめることにしよう。
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2005年の日本シリーズ。甲子園の第4戦で優勝を決めた千葉ロッテ ©BUNGEISHUNJU
(味スタじゃない方の)東京スタジアムとは?
今の千葉ロッテマリーンズが東京オリオンズと名乗っていたのは1964年から1968年の5年間。ホーム球場は東京スタジアムだった。東京スタジアムというと、京王線の飛田給駅の近くにあるアレか、と思う人もいるかも知れない(「味の素スタジアム」はネーミングライツによる名称で、正式には東京スタジアム)が、もちろんまったくの別モノだ。オリオンズの東京スタジアムは、東京・南千住にあった。
東京スタジアムは大毎オリオンズ時代の1962年に開場し、1972年をもって役割を終えた。我が国の右肩上がりイケイケドンドンの高度経済成長時代にたった10年、東京の下町にあったいわば“幻の球場”だ。町工場が建ち並ぶような下町に突如現れて、カクテル光線も眩しく人呼んで「光の球場」。場所柄か、下駄を履いて観戦に訪れるお客も少なからずいたという。そんななんだか楽しげな野球場が、東京の下町のど真ん中にあった。となれば、今は一体どうなっているのか確かめに行くしかない。そういうわけで、常磐線に乗って南千住駅にやってきたのである。
https://number.bunshun.jp/articles/-/846762
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