暗黒時代に刺した一筋の光。日本中の虎党を熱狂させた左腕は、時代を超え逞しく生きていた。亀山・新庄ブームに沸いた1992年の阪神タイガース。そのチームでエースとして勝ち頭の14勝を挙げたマイク仲田こと、仲田幸司さん(56)は現在、タテジマのユニホームから作業服に着替え建築の世界で活躍している。
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
(出典 i.ytimg.com)
(出典 www.sponichi.co.jp)
(出典 www.jiji.com)
「死亡説」や「ガンで入院説」の怪情報も
現職に就いたのは2010年のことだ。先輩でありミスタータイガースの掛布雅之(ハンシンレジェンドテラー・以下HLT)氏のマネジャーも務めたことのある西浦丈夫さんの経営する建設会社、山河企画に入社。1997年の引退後は野球評論家となるも2006年頃には定職を失い、ご縁に助けられた形だった。
当時の仲田さんの状況は最悪だった。所属事務所と評論家を務めていた放送局との関係は悪化。仕事が減少していたところに、離婚も重なり愛娘たちと会えない寂しい生活が続いた。
「あの頃はメシも喉を通らなかったですね。正直、酒に明け暮れてました。ヤケになってましたね。あの頃のお酒は楽しくワイワイやって、家に帰ってバタンキューではない。悪い方に色んなことを考えてしまって、いい酒じゃなかった。次の日に残る酒。そのまた次の日もまた次の日も。メシも食われへんから、どんどん痩せていくしね」
当時、一部の関係者の間では「マイク仲田死亡説」や「ガンで入院説」などという怪情報も飛び交った。直接、会った仲間には「俺はピンピンしてるよ」と話してはいたが、仕事もプライベートもうまくいかず疲弊していた。「離婚もあって、評論家もクビでダブルパンチですよ。一つ間違ったら逝ってたかもわからんくらい落ち込んでましたね」と先の見えないトンネルでもがき苦しんでいた。
それでも、仲田さんは立ち上がった。重圧のかかる阪神でエースを張った男のハートは折れなかった。「俺も飯を食っていかなあかん。挑戦してみよう」と建設業界に飛び込んだ。「社長から『(元プロ野球選手という)プライドを捨てられるか』と聞かれました。何でもします。我慢しますと答えましたよ」。入社後は猛勉強で測量士の資格も取得。現在は現場監督を任せられ、安全管理などにいそしんでいる。勤続10年以上とあって「今の仕事に誇りを持っています」と胸を張る。
現役時代は絵になる男だった。米国・ネバダ州生まれで、アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフ。幼少時に沖縄に移り住み、興南高では甲子園に出場し注目を浴びた。男前で長身。左腕から直球と大きくタテに割れるカーブを武器に将来を嘱望された。チームが日本一になった1985年には高卒2年目ながら3勝を挙げた期待の星だった。
ただ、順風満帆の野球人生とはいかなかった。練習では誰もが羨むポテンシャルをみせるが、実戦のマウンドでは成績は伸び悩んだ。毎年のように“ブレーク候補”に挙げられるも、2桁敗戦を6度も経験するなど「ブルペンエース」と揶揄されたこともあった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc4bce22de6baed4ac4828b033e1a17ea16630a2
4/9(金) 18:00配信
>>1
高校時代は興南高校のエースで何度も甲子園出てるんだよな
野球との縁は切りたくはない
転期となった1992年は「そろそろやらんと俺もクビかなと思っていた」と前年の秋季キャンプから目の色を変えた。まずは「真っ直ぐの軌道から、右打者の内角にグッと入るスライダー、それと外角にちょっと抜けるボールを覚えた」と新たな技術を習得。さらに元々、メンタルの弱さを指摘されることもあったが「どちらかというと『おりゃ、打ってみろや』みたいなところがあって強気に行き過ぎる傾向があった。でも、タイミングよく甲子園のラッキーゾーンが撤廃されたこともあって、長打を警戒し過ぎず大胆な投球ができたのがプラスになった」と、環境も味方につけた。
「あの1年だけだったかもしれないけど、こうして取材に来てもらえたり、ファンの方から声をかけてもらったりするのは92年の活躍のおかげかなと思いますね」。虎党の記憶に残る活躍は、今でも仲田さんの勲章だ。
社業の傍ら社会人チームの「京都ジャスティス」で投手コーチを務めるなど、野球に関わる仕事も継続している。だが、「試合の時にぶっつけ本番の形で関わるスタイルなので、まだ物足りないなという気持ちはありますね」とも話す。現状の仕事には不満はないが野球との縁も切りたくはない。野球評論家の仕事にも「次から次といい人材が引退してくるから、難しいのは承知の上ですがね。手を差し伸べてもらえるなら、またやってみたいですよ」と心残りも否定できない。本業をしっかりこなしながら、野球とも向き合いたい。それが現状の希望だ。
「今後、学生野球資格回復講習を受けることも考えています。そんな監督とかの立場とはいいませんよ。ちゃんと続けて指導をしている人たちもいますから。でも、野球が好きやし、母校も好きやしね。後輩たちに何かの形で力になるようなことがしたいですね」。
一時は仕事もプライベートもどん底の時代を経験した。それでも前を向いて戦ってきた。そして、野球への情熱がまたふつふつと湧き出てきた。今年の6月には56歳になるが、まだまだ老け込む年齢ではない。ユニホームを脱いだあと、セカンドステージで輝くことで野球界の後輩たちに道を示すこともできる。思いは人一倍だ。「今の仕事も頑張らんといかんですけど、まだまだやりたい事もありますからね」。そう話す仲田さんの目には、勝負師の残り火が光っていた。
◆仲田 幸司(なかだ・こうじ)1964年6月16日生まれ。米国ネバダ州出身。沖縄・興南高から1983年ドラフト3位でで阪神入団。92年には14勝を挙げヤクルトとの優勝争いの中、エースとして活躍をみせた。95年オフにはFA権を行使しロッテに移籍。97年限りで現役を引退した。引退後は関西を中心に評論家、タレントとして活動。2010年から山河企画に勤務の傍ら、社会人野球京都ジャスティス投手コーチを務める。NPB通算57勝99敗4セーブ、防御率4.06。最多奪三振1度、球宴出場1度(ともに92年)。左投げ左打ち。現役時代の身長182センチ、体重80キロ。
中田良弘とごっちゃになる
ナカタコ
伊良部る一歩前だったんだな
野球は何でも美談にするよな
>>6
美談にできなきゃなかったことにする、がセットだからこそだぞ
自分が悪かっただけじゃん
56歳で働いているのは普通だろ
こんなものをまるで美談の如く扱うのは異常だよ
こういう報道を見ると、井川は大正解なんだなと思ってしまう。
現役時代はケチだ何だで、チームで浮いてたろうけど、
ちゃんと金を残せて、悠々自適に暮らしてるんだから。
>>8
この前嫁さんに婚約指輪数千万円の買ってあげたってYouTubeで言ってたな井川。
ユーチューバーでよくね?
復活?
底辺職じゃんwww
仲田でもこんなことになるんか
現役の時から先のこと考えて、周りに好かれて真面目にやってないとダメだな
>>12
デーブなんか、人に好かれてるから
仕事に困らないね
ロッテだろ
少しは漢字読めるようになったか?
建設業の現場監督って野球やった後でもなれちゃうもんなんだな
なぜマイク?と思ってたけどハーフだったのか
源五郎丸なんて名前のインパクトだけで時々テレビ出てるのに、
その関西で実績があるのに評論家クビってよっぽどやな
タレント活動してるからまだいいのか
1イニング6四死球とか当たり前
マイクすらパージされる阪神村って怖いとこだな
こんな顔だったっけ
あれ…。本当に92年だけの選手だね。ここまで働いてないとは
>>23
猪俣の確変が一年早かったら92年優勝してたな
むしろ優しい性格だったんじゃなかったっけ
犯罪者になる奴もおる中でえらいやん
サッカーのほうのナカタコウジは上手くやってるよな
TVにも出られ出るし
加藤あいとは結婚しそこなったんだっけ?
無事で何よりだ
猛虎魂のかたまりのようなオトコだ
コメントする