元オリックスロメロ、インスタにて意味深ツイート!!!!!!
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プロ野球のオリックスが暗く、長いトンネルの中でもがき続けている。昨季も最下位に沈み、2000年以降でAクラス(3位以上)はわずか2度だけ。
1996年にイチローを擁してパ・リーグ優勝、日本一に輝いたが、翌年から23年連続で優勝を逃しており、12球団で最長だ。
なぜ、勝てないのか。近鉄と合併した04年の球界再編問題の影響は? 当事者の証言からその要因を探る。【伝田賢史】
◇実らぬ補強策
オリックスは14年、ソフトバンクに次いで2位となり、96年の優勝の後では最もリーグ制覇に近づいた。
その年のオフ、球団本部長の瀬戸山隆三(66)はオーナーの宮内義彦(84)の「来季こそは」の号令の下、内野手の中島裕之(宏之)=現巨人=らを獲得。総額30億円の大型補強を行った。
しかし、15年、新戦力は結果を残せず、チームは開幕当初から最下位。6月に監督の森脇浩司(59)が事実上の退任となる休養を申し出た。
ダイエー(現ソフトバンク)球団代表、ロッテ球団社長などを務め、「優勝請負人」と期待されてオリックス入りした瀬戸山は今でも悔いる。「オーナーが『来年は絶対に勝ちたい』と、取れる選手は全部取ろうとなった。
新戦力の故障多発はチェックが甘かった僕の責任。自分が辞めるべきだった」
◇合併の「副作用」
一方で、瀬戸山は合併球団ならではの「不協和音」を感じていた。旧オリックス出身の球団幹部から「合併してからチームがおかしくなった。勝てなくなった」という言葉を聞いた時には驚きを隠せなかった。
本拠地・京セラドーム大阪での試合中の光景も印象に残っている。オリックスが好機を作り、相手投手コーチがマウンドに向かった時のこと。
近鉄の流れをくむ応援団が「はーよーやーれ」と大合唱。これにオリックス生え抜きの職員が「品のないヤジ」と露骨に顔をしかめたのだ。
オリックスは阪急の流れをくんで神戸市や兵庫県西宮市に根付き、近鉄の本拠地は長年、大阪・南河内の藤井寺球場。
瀬戸山は「ファンにも職員にも土地柄の違いがあった。神戸と大阪が一丸になるのは簡単ではなかった」と振り返る。
◇オーナー忖度の影響も?
瀬戸山は別の難題にも直面した。ある選手の起用法に宮内から疑問を寄せられ、監督の森脇と一晩中、話し合ったこともあった。「宮内さんは野球がとても好きで、詳しい。
僕はある程度受け流した部分もあったけれど、球団上層部が意向を忖度(そんたく)すれば、選手の萎縮、反発にもつながる」
◇若手育成にかじ
オリックスは大阪・舞洲に約30億円をかけて球場や寮など2軍施設を新設。17年に神戸から移転した。京セラと2軍施設は車で約20分。1軍で出番の少ない選手が舞洲で昼間の2軍戦に出場し、経験を積むのも容易になった。
1軍選手の練習から若手が学ぶ機会も増えた。
イチローがオリックスにいた92~00年、本拠地はグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)で、寮や室内練習場が徒歩約10分の場所にあった。当時、イチローが深夜まで打撃練習で汗を流していたのは有名な話。
現球団本部長の森川秀樹(59)は「今、かつてのイチローが育った土壌ができつつある」とみている。
実際、昨季は21歳の右腕・山本が1・95で最優秀防御率のタイトルを手にした。ただ、得点は544点でリーグ最少。課題を解消するため、米大リーグで通算282本塁打のジョーンズを獲得した。
「今季こそは」との思いは選手や球団職員、ファンも同じ。長い冬から今季、目覚めることができるか。(敬称略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200119-00000002-mai-base
1/19(日) 8:00配信
(出典 pbs.twimg.com)
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日本ハムの中田翔内野手(30)が15日、大阪市のフィットネスジム「B2FITNESS」で行っている自主トレを公開した。
この日はチームメートの白村明弘外野手(28)や姫野優也外野手(22)らと一緒に下半身を鍛える筋力トレーニングなどで汗を流した中田。
今年の自主トレの意図について「1年間戦う体作りをしている。地味なトレーニングを継続することで下半身の土台作りができているし、
バットを振る量も増やしている」と説明。「下半身のキレなどは昨年の今ごろにないような感覚がある」と手応えを感じた。
昨年は右手のケガで2軍調整を強いられた時期もあり、チームも5位に終わった。プロ13年目となる今年にかける思いは強いようで、
「それぞれのポジションで、みんなが切磋琢磨(せっさたくま)すれば優勝に近づくと思っている。自分も143試合出ないと意味がないと思っている。
負けずに頑張ります」と意気込んでいた。また東京五輪に関して「たくさんボクより打つ人はいる。自分が五輪に出て今のメンバーと肩を並べてやる実感がないし、自信もない。
山川とかの方が素直にすごいなと思っている」とチームに専念する意向を示した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00010034-chuspo-base
1/15(水) 17:51配信
学生時代の評価や栄光が、その後の成功を保証してくれるわけではない。
それゆえに、アスリートはある時期に重大な「人生の選択」を迫られる。
昨年、静かに現役生活に幕を下ろした"甲子園春夏連覇左腕"は今、何を思うのか?(このインタビューは2019年に行なわれたものです)
■大学2年の春に肘がぶっ飛んだ
アスリートがプロになる過程はさまざまである。
野球界では高卒、大卒、社会人、そして独立リーグ経由の4パターンが九分九厘を占めるものの、いずれの場合もほぼすべての選手が「高校野球」を経験している。
どのタイミングでプロに入るかで人生が大きく変わることも多々あるが、本人の特性や巡り合わせもあり、果たして何が正解なのかは誰にもわからない。
元ソフトバンクの投手、島袋洋奨(ようすけ)は昨季限りで5年間のプロ生活にピリオドを打った。
沖縄・興南(こうなん)高校3年時の2010年には"琉球トルネード"と呼ばれた独特のフォームで全国の強豪校をなぎ倒し、当時史上6校目、沖縄県勢では初の甲子園春夏連覇を達成。
時の民主党政権・鳩山由紀夫総理の無責任な米軍基地移設発言でたまった鬱憤(うっぷん)を吐き出すかのように、沖縄中が島袋の快投に沸騰した。
1998年の松坂大輔(横浜高校)以来の春夏連覇エースの去就は大いに注目された。
プロ入りを表明すればドラフト上位指名は確実ともいわれたが、島袋はプロ志望届を出さず、東都大学リーグの名門・中央大学へ進学した。
「春のセンバツが終わった段階ではプロ志望でしたが、(興南の)我喜屋優(がきや・まさる)監督をはじめいろいろな人と相談して進学を決めました。
甲子園春夏連覇の投手としてのプレッシャーはさほど感じませんでしたが、大学で思うように活躍できず、申し訳ない気持ちが強かったです」
滑り出しは順調だった。中央大では48年ぶりの新人開幕投手に選ばれ、1年春は1勝3敗、防御率0.99で新人賞。
2年春には開幕戦の対東洋大学1回戦で延長15回、226球を投げ切り21奪三振で完投勝利を挙げ、中1日で先発した3回戦も7回1失点で2勝目。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200111-01104950-playboyz-base
1/11(土) 6:10配信