https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00000089-spnannex-base
阪神 球児がリタイア第1号…
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190205-00000089-spnannex-base
プロ野球中日は4日、沖縄県北谷町などでの春季キャンプで、転売目的で選手へサインを求めるファンがいるとして、
球団公式ホームページ(HP)で「このような行為には決して及ばないようお願いいたします」などと呼びかけた。
HPでは、「今後、行為等が見受けられる場合は、球団としては、本意ではございませんが、サイン等のファンサービスを制限させていただくことも視野にいれております」と訴えた。
中日は今月1日から約1カ月間の予定で、1軍は北谷町で、2軍は読谷村で春季キャンプを実施している。
昨季、カムバック賞を受賞した松坂大輔投手やドラフト1位新人、根尾昂内野手ら注目の選手も多く、キャンプ地には連日、大勢のファンが訪れている。
朝日新聞の調べでは、4日午後9時現在、インターネットのオークションサイトなどで、
松坂投手の直筆サイン入りユニホームが約1万円~2万5千円で出品されているほか、根尾内野手や与田剛監督のサインボールなども数千円で販売されている
http://news.livedoor.com/article/detail/15974688/
2019年2月4日 22時11分 朝日新聞デジタル
連載1回目は、東北楽天イーグルスで初代監督を務めた田尾安志。
中日新聞文化部で丁寧な仕事をこなしている中村陽子というデスクがいる。企画するテーマが秀抜で知る人ぞ知る逸材である。
小学2年生の時にナゴヤ球場のある尾頭橋に住んでいたという彼女が話してくれた思い出がある。
場所柄、同級生と中日ドラゴンズの選手の入り待ちをするのが流行っていた。ある日、学校帰りに友人のあかねちゃんと外で待っていると、
球場に入ろうとする田尾安志選手が車から降りて来た。子どもだけで駆け寄るせいか、だいたいの選手に邪険にされることはなかったが、
田尾に握手をお願いすると、とびきり優しく目を見て快く両手を握ってくれた。
背番号2を見送りながら、嬉しくて友だちと「もう、手を洗えないね!」と喜び合っていたら、
30mほど先からくるりと振り返って「手は洗わなきゃだめだよ~」と爽やかに声をかけてくれた。
小さき者に対する優しさ、ということが伝わる話だ。一方でその甘い風貌からはイメージしづらいが、
強い者、権力を持つ者に対しては田尾ほどの硬骨漢もいない。
闘将と呼ばれるある指揮官と田尾が新幹線で乗り合わせた時にこれを目撃したという人物から聞いたエピソードがある。
「俺らみたいなのが一番いいな。周りには気を遣わんけど、好きなようにやるためにはここ(親指を)というところだけ掴んでおけばいいからな」
要はワンマン組織のトップの心証さえ抑えておけば、予算も取れるし人事も操れるということだ。
それに対して田尾はこう返した。「そういうやり方でチームを運営されるのはわかります。ただ、僕は違います。
僕はそのやり方は出来ないんですよ」。闘将は黙ってしまった。
自分のためというよりも選手や裏方のため。筋を通すためなら干されることもクビになることも厭わない。
オーナー企業の会長だろうが、小学一年生の子どもだろうが接する人によって態度を変えない。
生き方がそれを証明している。私の持論だが、真の闘将は田尾である。
田尾は組織のトップにも一切おもねらず、正論をぶつける。政治的な駆け引きもジジ*的な折衝もしない。
ましてや上に好かれて自分のポジションを安泰にしようとも思わない。
「楽天の監督に就任する際、三木谷(浩史)オーナーに『僕は自分が正しいと思うことしかやらない監督です』と言ったんです。
それが嫌なら尻尾を振る人はいっぱい居るから、そういう人にやらせてあげたらいいじゃないかと。僕は何よりも東北にできた球団を
いい方向に持っていきたいと思って引き受けました」
楽天の初代監督というのは、まさに火中の栗のコレクターだ。
球界再編の煽りから生まれた新球団の戦力は分配ドラフトで構成された。
すなわち、近鉄バファローズと合併したオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)のプロテクトから洩れた選手と
他球団で戦力外とされた選手たちの参集だったのだ。きつい言い方をすれば、必要としないと判断された
(岩隈久志や磯部公一のように自ら楽天への移籍を希望した例外もある)選手たちの集合体。開幕前から最下位は決まっているようなもの。
しかし、指導者としてのキャリアに傷がつくことを承知で誰かが引き受けなければならない。
「以前からマーティ・キーナート(楽天初代GM)からアドバイスを求められていて、それで最終的にやってくれないかとオファーを受けたわけです。
最初は『僕を地獄に落とすのか』と答えたのですが(笑)。あの(球団側と選手会がもめていた)時の渡邉恒雄会長の『たかが選手が』という
酷い言葉も気になっていましたし、守らないといけないものがあると考えたんです。
三木谷さんには、『企業名をユニフォームに入れないというのはどうでしょうか。メジャーリーグに倣って』と提案し、
『それは良いアイデアですね』と言ってもらえて、面白いオーナーだなと思ったのも引き受けた要因のひとつです
(結局、企業名はユニフォームに入ることになる)」
「どれだけ負けても東北のファンの人たちがものすごく暖かく応援してくれたんです。ヤジる人が居なかった。
僕は中日、西武、阪神と現役をやりましたけど、ダメだとヤジられるという文化で育って来ましたから、これは嬉しかったです」
田尾は自らのバッティング指導を通じて徐々に選手を再生、もしくは才能を開花させていった。(略)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190204-00010002-sportiva-base&p=1
近本光司 141試合 .264 14本 64打点 15盗塁
近本光司 59試合 .317 3本 26打点 9盗塁
近本光司 143試合 .270 3本 57打点 37盗塁
近本光司 56試合 .280 0本 4打点 5盗塁
近本光司 140試合 .358 20本 70打点 13盗塁