2020年05月

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    (出典 www.sankei.com)



    1 ( ´∀`) ★

     阪神は29日、藤浪晋太郎投手(26)が遅刻により、2軍再調整になったことを発表した。矢野監督は藤浪に関して「チームとしてひとつになろうとしているときにね。自分を見つめ直してほしい」とコメント。
    前日28日10時半からの練習に遅れ、グラウンドに出ることを許可されなかったという。

     矢野監督は「人なんでミスもあるし、失敗というか何かよくないこともあると思うんだけど、時間というのはみんなの信頼を失うことになってしまう」と説明。続けて「これが初めてじゃないんで。そういうところの
    野球人の前にやはり、社会人として、人とのつながりということを考えるとそういう判断をした」と語った。

     藤浪は3月26日にPCR検査で陽性と判定され、新型コロナウイルス感染が判明。入院、自宅待機を経て以降は、2軍施設の鳴尾浜で調整していた。今月19日から甲子園球場での全体練習に合流。24日には
    シート打撃に登板すると、4者連続三振を奪うなど好調をアピールしていた。

     指揮官は本人とも話をしたという。「本人ももちろん反省している。だけど、これが初めてじゃないという部分で。あいつ自身が変わらないとダメな部分もある」と猛省を促し、再合流などの時期を含めた今後については
    「晋太郎が戻ってきてもひとつになれるであろうとなるんであれば戻るだろうし。時間がどれくらいというのは俺にも分からない」と語った。
    デイリースポーツ
    https://news.yahoo.co.jp/articles/1fd7fb091d1cbf739573e49febdc7d730849098c


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    (出典 portal.st-img.jp)



    1 砂漠のマスカレード ★

    阪神の暗黒時代、球団や選手に対する厳格な姿勢から「鬼平」と呼ばれた将がいた-。虎生え抜き選手初の名球会打者でもある元監督の藤田平氏(72)=デイリースポーツ評論家=が、1995年に就任した2軍監督時代から1軍監督を途中退任した翌96年までを述懐する。「最悪」と衝撃を受けた現場復帰当初のチーム状態から、新庄正座事件、桧山の4番抜てき、そして深夜にまで及んだ“籠城会談”など激動の虎を振り返る。(文中は敬称略、役職は当時)

      ◇  ◇

     席を外されたのは3度だったと記憶している。約9時間半に及んだ“籠城会談”は、1996年9月12日。遠征先の横浜への移動前だった。

     藤田は三好一彦球団社長から連絡を受け球団事務所へ赴く。そこで突きつけられたのは“解任通告”。久万俊二郎オーナーから翌年への期待の言葉も受けていただけに受け入れられない。午後5時から始まった話し合いは日をまたぎ、深夜2時半まで続いた。

     「三好さんから『(監督を)退いてくれ』と。途中、三好さんは3回席を外した。(会談での)やり取りを電話で(久万オーナーに)話したりしてたんだと思う。こちらとしては『(回りくどいから)3人で話しましょう』と言ったけど、オーナーも出にくかったんやろうな。こちらは、ある人を通じて『来年も』と聞いていたし」

     第三者を通じてだが“続投”と聞いていた。「久万オーナーと月に1回は会っていた。手塚さんと3人で」。当時、電鉄本社社長で後に久万の後を受け球団オーナーに就く手塚昌利を交えての会談。球団側とは翌シーズンに向けた意見も交わしていた。

     「おれ、辞める会見してないんや」。どうしても納得できなかった。だから応じなかった。三好と会談した12日には報道陣が集められ「藤田退任」の発表会見が行われる予定だった。だが三好との会談で決着が付かず、改めて翌13日に会見が開かれる。

     その際、藤田は三好から会見同席を求められたが「こちらは何の記者会見も分からなかったし帰った。納得してなかったし」。この日から藤田は休養に入る。

     我慢が続いた96年。補強といえば金銭トレードで加入した平塚克洋くらいだった。前年から在籍したグレンとクールボーの両外国人選手は6月に退団。それに伴い野手でクレイグとマースを獲得したものの、結果は出なかった。

     チームの不振に不満を持つファンと、移動の新幹線で対話したこともある。「『話がある』、というので『それでは話をしましょう』と」。立て直しに懸命だった。

     「中村吉右衛門のが好きなんや」。時代劇専門チャンネルで再放送されていた「鬼平犯科帳」を、たまたま目にしたのは2019年6月。確かその時は、高山俊や近本光司への期待の言葉を口にしながらの視聴だった。チームを論じる際は熱を帯びる。ただ、若手選手の話題には、語りかけるような口調になることがある。

    5/30(土) 9:00 Yahoo!ニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200530-00000028-dal-base


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    (出典 upload.wikimedia.org)



    1 砂漠のマスカレード ★

    渋谷真コラム・龍の背に乗って[強竜列伝・宇野勝]

    2リーグ分立後、NPBの歴史で「遊撃手の本塁打王」は宇野勝(1958~)しかいない。84年に37本で獲得。翌85年の41本は、遊撃手としての最多記録でもある。

    「去年、坂本(巨人)が40本打ったでしょ?あのときに『オレも打ってるよ』って思ったんだけど、テレビでも誰も言ってくれなかったんだよね(笑)。一番ってのは悪い気持ちではないよ」。

    通算334本も球団記録。ドラゴンズ最強のアーチストは、実は銚子商では決して長距離砲ではなかった。「20本足らず…。いや、10本少し超えるくらいだったんじゃないかな。
    そりゃ1年上にシノさん(巨人・篠塚和典)がいて、カンカン打ってたからね。
    自分が特別だとは思ってなかった」2学年上にも土屋正勝、1学年下に尾上旭。銚子商の全盛期だった。
    84年にタイトルを分け合った掛布雅之(阪神)は、ライバルの習志野高の3学年上。安打の延長線が本塁打なのか、本塁打の打ち損ないが安打なのか。語り合ったことがあるという。

    「カケさんは『オレたちはシンに当たればフェンスを越すだろ?』って。狙う、狙わないじゃなく自分のスイングをして、角度さえつけばホームラン。そこは共通していたんだよね」

    そんな宇野が最も覚えている1本がある。84年の37号(9月22日)。それは初タイトルをたぐり寄せたからではない。

    「激しく優勝争いしていた広島との直接対決だったからね。結果は及ばなかったけど、そういう戦いの中で打てたのがうれしかった」

    本塁打には飛距離や本数では測れない重みがある。この年、16勝を挙げた山根和夫から左中間に打ち込んだ逆転3ラン。
    再逆転され、2・5ゲーム差に突き放されたが、その瞬間は感じていたとてつもない重み。だから宇野は生涯のベストアーチに選んだのだ。

    解説者となった今、宇野は序盤の送りバントにはマイクに向けて遠慮なく落胆する。それは「プロは最高峰。
    日本の選手も十分に筋力がついて、お客さんに魅せる野球ができるはず」という思いがあるから。そんな宇野が「一日も早く見たい」大器がいる。

    「石川(昂)だよね!清原にかぶるんだよ。1軍で使ってほしい。たとえ打率2割そこそこでも、今のドラゴンズにはフォローできるメンバーがいるじゃないか」

    魅せられるか、どうか。それが宇野にとってのプロフェッショナルの基準なのだ。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/052d44c6c0bbe98c8e242b4d0a276b55a1b4b792
    5/29(金) 10:54配信


    (出典 static.chunichi.co.jp)


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    (出典 www.ytv.co.jp)



    1 名無しさん@おーぷん

    阪神:厄介者の藤浪を追い出せてワンチャン使えるかもしれない相内を育てられるかもしれない

    西武:無免許暴走などで問題だらけの選手を厄介払いできる上ストライクが入りにくい投手陣ゆえに一人くらい増えても問題ない


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    (出典 amd.c.yimg.jp)



    1 砂漠のマスカレード ★


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    ◇阪神紅白戦 紅組0-3白組(2020年5月29日 甲子園)

    阪神は29日、甲子園球場での集合練習で紅白戦を実施した。チームとしての実戦は3月25日以来65日ぶりで、虎党の心配を吹き飛ばすような快音が響いた。紅組の「4番・一塁」を任されたボーアが、2回先頭で西勇の初球真っすぐをいきなり右前打。4回の第2打席も左翼フェンス際への大飛球を放ち、春先の不調時とは一変した姿を見せた。

    「ユニホームもホーム、ビジターで分けて、より実戦という感じもした。そこはスゴく良かったと思うよ。何より楽しかったし、また1つステップアップできたと思う」

    球団を通じた言葉に試合ができる喜びがにじみ出た。来日1年目から思わぬ事態に直面。異国にずっと滞在しながら前向きに調整に取り組んできた。28日が32歳の誕生日。チームメートからサプライズで「ハッピーバースデー」の歌で祝福され、「ビックリしたよ。試合日でないのは残念だけど、すごくうれしかった」と笑顔だった。開幕はまだでも、チームにはすっかり溶け込んでいる。

    今春実戦は15試合で打率・189、0本塁打。本来の豪快な当たりが出ない中、4番起用を続けてきた矢野監督は「芯で捉えたらスゴい打球がいくし、ああいうふうに(4回の左飛)打球が上がってくると、相手にとって怖さになってくる。ここからもっともっと状態が上がると思うし、それを待ちたい。そのきっかけにしてくれれば」と改めて主砲として期待をかけた。

    「4番は好きな打順だし、多くの場面で走者を還す状況だと思う。その打順を打たせてもらっていることに感謝して、期待に応えられるよう頑張りたい」

    公式戦デビューが遅れたことも、修正期間ができたとプラスに考えればいい。試合がしたくてウズウズしていた分、モチベーションも大いに高まっている。20年猛虎打線のカギを握る助っ人が、まずは上々の再出発を切った。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f24e329385064fe345cf8793e17ddc3d127ddeb4
    5/30(土) 5:30配信


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