2022年09月

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    カサ増ししてコッテリした味も付けたらこんな感じか
    卵とかは入れないカロリー考えて
    マヨネーズは使うけど

    ちなみに栄養不足はサプリメントで補う+日光浴びるアウトドアで運動

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    (出典 s3-ap-northeast-1.amazonaws.com)



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    終わりだよ

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    (出典 full-count.jp)



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    Full-Count 9/27(火) 8:05配信

    元広島の正田耕三氏は中学生指導にも情熱を注ぐ

     セ・リーグで2度、首位打者に輝いた男が、セカンドキャリアで充実の日々を過ごしている。元広島の正田耕三氏は物流関係の仕事を本業に選び、時間を見つけては無償で中学生指導にも情熱を注ぐ。「野球をやっていた時よりも忙しいけど、仕事は好きだし、中学生に教えるのも楽しいし、今の生活がこれまでで一番おもろいかもしれない」と笑顔で話す。練習の虫、努力の人で知られた正田氏の今に着目した。【山口真司】

     正田氏はスマホを見ながら目を細めた。「ケータイには子どもたちの打撃フォームの映像がいっぱいある。本人から『見てください』って送られてくるんだよ。たとえば、『速い球にどうしても遅れるんですが、どこが原因ですか?』とかね」。教え子たちへの返事をつくる作業は夜遅くなることもあるという。しかし「大変だよ」と言いながらも楽しそうだ。「俺、教えるのが好きだからね。中学生は素直。どんどん吸収するし、すぐ上手くなる」と声も弾んだ。

     実は本業の物流関係の仕事でも、今では責任あるポジションで作業を教える立場になっている。商品の出し入れなど、スピードと正確さを求められる仕事。「最初は大変だったよ。くそって思った。できなかったからね」。それを持ち前の負けず嫌い、努力の積み重ねで打開していった。「元野球選手はアカンなって言われたくなかった。野球もすごかったけど、仕事もすごいなって思わせたいってね。野球以上に頑張ったよ」。

     韓国から帰国した58歳の時に転機…人生100年時代を見据えた決断
     正田氏は市立和歌山商から新日鉄広畑に進み、1984年のロサンゼルス五輪では日本代表の主力として金メダル獲得に貢献、同年のドラフト会議で広島に2位指名されて入団した。だが、1年目は打率.180で終わり、当時の古葉竹識監督の勧めでスイッチヒッターに挑戦。内田順三コーチのマンツーマン指導による猛練習で技術を習得し、1987年、1988年に2年連続首位打者に輝いた。俊足、好守にも定評があり、1989年には盗塁王、二塁手でベストナインを2度、ゴールデン・グラブ賞を5度受賞。1998年の現役引退後は広島、阪神などでコーチを務め、2015年から2019年までは韓国球界で指導していた。

     転機は58歳で韓国から帰国したとき。「これからどうしようかって、ある人に相談したら、やめろ、野球から距離を置けって言われた。65歳とかになってユニホームを着てコーチができるかって。そんな人、何人い
    るかって。それなら一生懸命(新しい)仕事を覚えて頑張ったらいい、今からなら間に合う、野球は空いてる時間に教えればいい、そのほうが生活は安定するってね」。人生100年時代といわれるなか、先を見据えて、継続して長く働ける環境を求めた。敢えてこれまでとは違う道を選択したのだ。

    「ずっと野球しかやっていなかったんで、ある意味、いろいろすごい新鮮だった」。業務は夜勤、昼勤、いずれもあるが、そのサイクル、生活リズムにもすっかり慣れたという。もちろん、選手のときに練習で培った精神力、体力を含め、すべてが今に役立っている。「コーチをやっているときは、もしクビになったらどうしようって考えていたものだけど、今はそういうプレッシャーもない。仕事が休みの日も何か予定が入っている。野球教室もそうだし(元広島、ロッテ、阪神の)高橋慶彦さんとのトークショーとかも楽しいよ」とまた笑みがこぼれた。そんな正田氏には、現役時代で忘れられない対戦相手がいるという。

    山口真司 / Shinji Yamaguchi
    https://news.yahoo.co.jp/articles/f707c28d0791ca7d231d04f963e68c9304c9c5e1

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    (出典 www3.nhk.or.jp)



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     プロ野球界きってのイケメン選手・東北楽天ゴールデンイーグルスの西川遥輝外野手(30)が、結婚していたことが分かった。しかし、公表しにくい“ある理由”があるようだ。

    「お相手は一般人で、かなりの美女だとか。ただ、結婚は最近ではなくかなり前。昨年まで所属していた北海道日本ハムファイターズ時代に入籍していたそうです。楽天移籍後、都内に自宅がある西川選手は、週末の試合後に帰京し、火曜の朝には次の試合場所に向かうという遠距離結婚生活を送っているといいます。球団関係者は知っていて、結婚して2年は経つと思いますが、なぜか本人は“発表しにくいんです”と周囲に漏らしているようなんです」(球団関係者)

     確かに、スポーツ新聞などが発行する「選手名鑑」で西川は「独身」となっている。

     西川は2010年にドラフト2位で日ハムに入団。2013年のレギュラー定着以降、長年にわたって日ハム打線を引っ張ってきた。だが2021年10月、ビッグボスこと新庄剛志氏の来季(2022年)監督就任が決定すると風向きが一変。同年のオフに「ノンテンダー」が通達され、プロ野球人生の岐路に立たされた。

    「ノンテンダーとはアメリカのメジャーリーグで用いられる用語で、球団が来季の契約を提示せずに自由契約にすることです。年俸がパフォーマンスに見合わなくなった際に用いられることが多く、事実上のクビ。功労者ともいえる西川選手に対する球団のこの“仕打ち”は、当時、物議をかもしました」(スポーツ紙記者)

     この仕打ちに過敏に反応したのが、西川のファンだった。西川はそのイケメンぶりからファンが多いことでも知られ、西川ファンは「ハルキスト」と呼ばれている。ノンテンダーに対して多くのハルキストが悲鳴を上げ、なかには球団に対して否定的なコメントをネットに書き込むファンもいたという。

     西川はノンテンダーから約1か月後に楽天入りが決定。第二のプロ野球人生をスタートさせるのだが、楽天に移籍してもその人気は衰えなかった。

    「今年2月に公式グッズが発売されると、売り切れが続出しました。西川選手の名前が入ったタオルの売り上げは球団の中でダントツの1位に。さらにユニフォームの売り上げに関しては、西川選手のユニフォームが全体の約6割を占めたとも報じられました」(前出・球団関係者)

     このグッズ売り上げが、西川が結婚発表を躊躇する理由の一つだと見る関係者は少なくない。

    「結婚を公表すると女性人気が激減し、グッズの売り上げにも大きな影響があることは間違いありません。このグッズの売り上げも年俸の査定の一つになりますから、選手としては“未婚設定”のほうがメリットが大きいんです。相手が芸能人などで、隠すことが難しい場合ではない限り、球団としても選手の意向を汲むことが多いと思いますよ。

     ただ、奥さんや家族としては複雑な心境でしょう。いくら人気商売とはいえ結婚を隠し続けるのはつらい。西川選手も“いつかは公表したほうがいいよなぁ”という思いでいるようですが」(別の球団関係者)

     西川の結婚について楽天球団に問い合わせたが、期日までに回答はなかった。楽天移籍後の今季の成績はパッとしない西川だが、来季はスッキリと快音を響かせてほしい。

    9/29(木) NEWSポストセブン
    https://news.yahoo.co.jp/articles/af7a5bdcf0ca9674caba6009d688ecab88fb7e43

    依頼
    http://hayabusa9./test/read.cgi/mnewsplus/1664368766/73

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    (出典 tokyo-sports.ismcdn.jp)



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    2022年9月27日 23:05
    https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/240172

    (出典 tokyo-sports.ismcdn.jp)


     阪神・青柳晃洋投手が27日のヤクルト戦(神宮)で今季公式戦最後の先発マウンドに立ち、6回6安打1失点。打線の援護にも恵まれ、リーグ単独トップの13勝目を挙げた。4―1で接戦をもぎ取ったチームはついに巨人と並び、3位へと浮上。CS出場へ向け大きな1勝を、背番号50がチームへもたらした。

     白星は8月2日の巨人戦(東京ドーム)以来。無双モードの快投を続けてきた前半戦とは打って変わり、結果に恵まれなかった日々を「いやあ、しんどかったですね」と振り返りつつ「(調子は)特別良くはなかったですが、ある程度まとまっていた。何がなんでも勝つしかなかったので、チームが少しでも勝つ可能性が高い投球を心がけました」と安堵の笑顔を見せた。

     試合後の矢野監督も「(13勝目まで)長すぎたよね(笑い)。最後の登板を勝つか勝たないかは、ヤギにとっても大きかったと思う」とエースの帰還に目を細める。勝利数だけでなく防御率(2・05)、勝率(7割6分5厘)もリーグトップ。青柳は3つのタイトルをこの日の勝利で、ほぼ手中に入れた。

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