同じリーグに所属する両雄と言えるべき存在の対戦を、古今東西「伝統の一戦」「クラシコ」「ナショナルダービー」と呼ぶ。
早慶戦、ヤンキース×レッドソックス、バルサ×レアル、インテル×ユヴェントス。
しかし日本野球界における「巨人×阪神」のカードは本当に「伝統の一戦」と呼ばれるに相応しい存在と言えるのだろうか?
Gファン、Tファン、他球団のファンも含めご意見を。
>>1
優勝回数だけで考えるとそうだが、
選手・長嶋茂雄がいた時代、それはすなわち
プロ野球人気を決定づけた時代に
首位巨人に続くのが2位阪神だった、
という事情が大きいんだろうと思うわ
言っても興行だから、
スーパースター長嶋の巨人軍に対する
ヒール役としての阪神もキャラ立ち
させる方が良いわけで、おまけに
阪神が巨人に次ぐ人気球団とあらば
尚更のことなんだろうね
もし1960年代に常に中日が2位に
着けていれば、「伝統の一戦」の定義は
変わったのかもしれんね
>>1
阪神鳥谷 緊急帰阪
「モチベーション上がらない」
[2019年09月06日17時35分]
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909060000581.html
巨人対阪神が「伝統の一戦」と呼ばれる所以。
1.日本プロ野球「オリジナル7」の内の2つ
2.日本プロ野球創設年の1936年に年間王者を決めるプレーオフで対戦。翌年、翌々年も年間王者を決める決定戦で対戦。
3.日本第一の都市と第二の都市をホームタウンにする2球団
4.現在、日本で一番、二番目に人気のある球団
1.→中日ドラゴンズ(名古屋軍)もオリジナル7で、現在も同じリーグに所属
2.→戦前は「両雄」だったが、2リーグ制(1950年)以降は見る影も無い
3.→日本第二の都市は現在は横浜。そもそもタイガースのホームタウンは大阪市でなく兵庫県西宮市。
4.→これだけは事実
>>2
それに加えて、
5.プロ野球史上唯一の天覧試合が行われたカード
という要素も見逃せないかと。
無論、大正力が天覧試合を巨人阪神戦にすべく各方面に根回しを尽くして、
天覧試合をパ・リーグに持っていこうとしていた毎日との争いに勝ったから
だけど。
金子達仁に言わせれば、甲子園の阪神×巨人戦は、カンプノウのバルサ×レアル戦に負けない雰囲気らしいが。
>>11
中央(東京)vs関西(大阪)の対立軸が、スペイン(マドリード)vsカタロニア(バルセロナ)
の対立軸と似通っている面に依るところが大きいのだろう。
共に国を代表するチームに相応しい成績を残している巨人並びにレアルに対して、
一方は江戸期まで長らく国の中央を担っていたのを関東にその座を奪われた関西
他方は長年スペインからの分離独立問題が燻っているカタロニア
とやや意味合いに違いはあれど、国の中央に対して反旗を翻し得るだけのポテンシャ
ルを持つ地域を代表するチームがとことん噛み付き食い下がるって構図は、それだけ
で反中央の人達にとっては血が沸き肉が踊る図式なんだろう。
只、フロントから現場に至るまでレアルに対する対抗意識を剥き出しにしているバルサ
に対して、阪神と来たら・・・・・・。
読売グループが巨人の数字上げと西日本の読売新聞の売り上げをあげるためにしかけた茶番だし
ロッテ西鉄のあれと同じ
有名な話である無協約時代の阪神読売の資本問題もそうだしな
関西私鉄資本が一切無いよみうりテレビ(遠くへいきたいがよみうりなのもそれだったとか)の影響力は読売グループが一番で、巨人阪神を見せるために作られた
巨人に競り合い負ける台本をNPB黎明期からずっと株式資本で守らされてきたのが阪神
これ壊すのかなり難しいぞ
ちなみに西鉄ロッテもそれがまだ残ってるのか西武とロッテで何かしらの競り合いになると西武がよく負けるんだよな
>>28
二リーグ分裂の際に阪神は土壇場でパリーグ加盟からセリーグ加盟へ寝返り、怒った毎日新聞が阪神の主力7割を引き抜いて毎日オリオンズを結成したのは有名な話。
「伝統の一戦」って言葉は
誰が1番最初に使ったの?
>>30
早慶戦の猿真似
こういうくだらない意識が蔓延してるから、セカンドリーグなんだよ
>>31
そうそう
阪神に関わらず巨人コンプやばすぎだし、巨人にどんな勝ち方したかを注文つけすぎ
一リーグ時代の野球に現在まで影響力を残すほどの人気があったのか?
とも思うが。
とはいえ「巨人の星」の時代には伝統の一戦という言葉はあり
巨人と阪神がライバルという認識はあったようだから
テレビの普及が進んだ時代に
巨人が主役でライバルが阪神、Aクラスのもう一つが中日、希に大洋で、国鉄と広島が下位という構図があって
その頃に阪神の立ち位置が確立した感じなのかな?
>>46
当時の阪神監督であり、元はと言えば巨人の事実上の初代監督として戦前の黄金期を築きながら、ワンマンで知られた市岡球団代表(当時)
との確執で辞任に追い込まれた藤本監督に依る所も大きかったように思う。
やはり巨人から事実上放出された(カープへの移籍を申し渡されたが、十年選手の特権を利用してその移籍を拒絶し洋松に移籍した)青田
をヘッドコーチに据えて、天下の川上監督に対して「おい!哲!」呼ばわりとか。
選手やコーチに対しても「巨人には絶対に負けるな!」と巨人を猛烈に意識した発言や采配を行なったともいう。
村山実氏の生前の話だと、「読売と名が付く所は、例え(在阪局の)よみうりテレビでも一切口をきくな!」とまで言われたらしい。
実際には、市岡代表はあまりのワンマン振りから大正力の逆鱗に触れてとっくに巨人から追放されていたし、阪神監督就任に
何かと読売贔屓で知られた鈴木龍二セ・リーグ会長が噛んでいたりと、読売や巨人との関係も改善されていた(実際、水原監督の後釜
として藤本監督の復帰要請まであったが、「俺にオミズのクビを切れって言うのか!」との一言で立ち消えになったらしい。)様だけど、
そこを敢てセ・リーグを盛り上げる為のピエロになったって感じも。
村山対長嶋
江夏対王
田淵対堀内
掛布対江川
ぐらいまでは
いまでは転倒の一戦
菅野VS大山
そのうち伝説の一戦になるかもなw
地上波しか観ないから最早私にとっての巨人対阪神戦は「幻の一戦」になってるよw
東京中日スポーツが「伝説の一戦」と揶揄してた
甲子園のレフトスタンド、巨人ファンの割合が「4分の1」
巨人阪神戦は残るけど「伝統の一戦」は死語になりつつある
巨人も阪神も、他球団の選手が大量に入り込むようになってから、伝統の一戦ではなくなってしまった
聖地甲子園での阪神巨人戦だけが伝統の一戦
大昔は
セリーグで一番強いのは首都東京の巨人
セリーグで二番目に強いのは第二の都市大阪の阪神
と言われていたらしいね
実際にプロ野球創立から70年代までは
巨人は優勝が多く
阪神は2位と3位が多い
東京VS大阪だから盛り上がる
申し訳ないが東京VS名古屋、広島では差があり過ぎる
兵庫県西宮市だろ。
関東人からしたらその辺は全部大阪
なんで大阪人は兵庫県西宮市の球団をひいきするのが多いのか
南海や近鉄よりも
>>78
そんなん別に球場がたまたまそこにあるだけやろ
甲子園が本拠地なのに大阪タイガースを名乗ってた時代もある
>>80
それでも呼称は阪急、南海に対抗する意味合いで企業名の「阪神」を名乗り、
1947~60年は球団名が「大阪タイガース」で通称が「阪神タイガース」だった。
現在日刊ゲンダイに阪神の経営について連載。
「首を長くして巨人戦待ってれば何もしないで良かった」
「阪神電車は臨時便増発」
「正力様から『宿敵』と言うありがたい立場を頂いた」
>>85
その連載面白いよな~まさにこのスレの答えが書かれてるじゃん。
正力が「東京対大阪で盛り上げましょう」「阪神さんだけが頼りです」
と阪神を誘ったのがまさに「伝統の一戦」の始まり。
でもその後阪急も入って「騙された!」と言ったのが笑える
>>57
>阪神の連中は負けても平気で盛り場に出掛けた
巨人は遠征先で負けたらピリピリしてとても飲みに行けるような雰囲気じゃなかったらしい。
でも阪神は負け試合でも平気で帰りのバスの中で「~~行こう」と言ってて小林は呆れた。
小林は最初のうちは誘いを断っていたが、「あの野郎かっこつけやがって」
という冷たい視線にだんだん耐えられなくなって、ついには自分も率先して行くようになったらしい。
その不摂生が結局選手寿命を縮めた。
「あのまま巨人にいたらもっと現役を長く続けていただろう」
小林の自伝は巨人への愛と阪神への軽蔑で溢れてた。
結局巨人は常勝が使命だけど、阪神はフロントも選手もそんなこと全く考えてないよな、
甲子園に客が入ってそこそこ勝てればいいだろぐらいで。
「伝統の一戦」と並列に呼ぶのは違和感あるわ。
小林は巨人ひとすじでも大して変わらない運命だと思うわ
>>88
根拠は?
>>89
女にだらしなくて金を湯水のように使うから
環境変わっても変わらなくても一緒
>>90
それは野球とは関係ないんじゃ?
>>90
それは野球とは関係ないんじゃ?
「巨人あっての阪神」と球団も阪神ファンも思ってる。
巨人ファンは阪神眼中ない。
>>96
これはずっとそうだよな。巨人自体ナンバーワンでいないと気が済まない感じだから、阪神にかかわらずどこもライバル意識持っていないとは思うがな。
中日が親会社が新聞社だからライバル意識あるよ。
経営陣も監督も。
原監督は中日戦で通用しない選手は認めなかった。
>>98
読売新聞の西日本進出よりも、中日新聞の関東進出(戦前に現東京新聞の前身・国民新聞を傘下に収めた形で)の方が先んじた格好だしな。
読売も戦前、九州等の地方紙を傘下に収めて全国進出を目論んだものの、戦時中の一県一紙政策に依る地方紙合併合同で出資地方紙への
影響力が弱まってしまったのに対し、中日の方は国民新聞・都新聞の合同に依る東京新聞成立時にも有力出資者として(?)影響力を維持し、後の
東京新聞の事実上の吸収合併にまで至った。
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